第11章
戦い
1.闇が深くなるのは……
では僕たちになす術はないのであろうか。彼らに殺される順番を待つ、養豚場の豚のような生き方しか残されていないのであろうか。
そんなことはない。
現にそれを求めて僕たちの先輩たちだって戦ってきた。
ある時はアメリカや日本の権力者にいいなりの警察に抗議した。
ある時はアメリカが押し付けた安保条約に反対して行動を起こした。
確かに現在は先に何が起こるかわからない、混迷の時代かもしれない。しかし、ある人の言葉に「闇が深くなるのは夜明け前なればこそ」というものがある。尾崎は、彼の生命と引き替えに、僕たちの戦うべき相手を教えてくれた。
強大な力に立ち向かった例は、世界中にある。
2.アフガニスタンにて
アフガニスタンはアジアの中央の交通の要所に位置し、絶えず大国のエゴにもてあそばれてきた。レジスタンスは山岳地形を巧妙に使い、ついには大国の軍隊を撃破した。その中には14歳の少年たちもいた。彼らも銃をとって戦ったのである。
インタビュアー「両親は戦いに行くことに反対では?」
少年「いえ。むしろ喜んでいます。成功を祈ってくれました」
インタビュアー「戦闘は怖くないですか?」
少年「全然! アラーのために死ねたら本望です」
3.ヴェトナムにて
1946年12月、長い間フランスの植民地支配に苦しみ続けた北ヴェトナムの民衆は立ち上がった。その指導者、ホー・チ・ミンは民衆にこう呼びかけた。
「われわれは犠牲を辞さない。
われわれは奴隷とはならない。
すべての老若男女に訴える。主義主張、民族を問わず、立ち上がり、フランス植民地主義者と戦い、国を救おう」
この発言に応えて、民衆は立ち上がり、フランス軍を海に追い落とした。
次に、彼らを待っていたのはアメリカだった。アメリカはフランスの後をついでヴェトナムを支配しようとした。それに対して1960年12月20日、「南ヴェトナム解放民族戦線」が樹立された。この解放戦線は反アメリカをスローガンにして、農民、学生、企業家、知識人階級の支持を受け、大組織へと発展した。
ときには女性たちも戦った。男たちとともに銃をとる者もいたが、ヴェトナム戦争で有名なのが「ロング・ヘアー・アーミー」と呼ばれた5000人の女性たちだ。彼女たちは村に対するアメリカの虐殺行為に反対して県庁に抗議し、ついには米軍を撤退させた。
また、ヴェトナム中の女性たちが、アメリカ軍に協力するヴェトナム人を説得し、解放軍に導き入れた。
アメリカは54万人もの軍隊を投入し、第二次世界大戦中に世界中で用いられた爆弾の2.73倍にあたる755万tの爆弾を投下した。
しかし解放軍は1975年、ついに勝利をおさめ、ヴェトナムの自由をかち取った。

4.キューバにて
1956年11月、わずか100名を率いた弁護士出身のフィデル・カストロは、アメリカ多国籍企業の支援を受ける独裁者バティスタを倒して、キューバの独立と自由を勝ちとるために立ち上がった。
その道は平坦ではなく、一時、革命軍の規模はわずか12名まで打ち減らされた。しかし、彼らはあきらめることはなかった。
ゲリラ戦の天才ゲバラが加わった後、革命軍は徐々に規模を大きくし、時には20倍の敵を撃ち破りながら勝利への道を突き進んだ。それを支えたのが、貧困にあえいでいた農民、自由を求めた学生たちだった。
そして、1959年2月、カストロは首相に就任。ついにキューバの民衆はアメリカの支配から解放された。
その後もキューバ支配をもくろむアメリカは、1961年4月、CIAを中心に作戦をたて、軍隊をビックス湾に送り込んだ。カストロを中心としたキューバの民衆はわずか3日でこれを撃破、キューバの自由と独立を守りぬいた。
5.「戦いか、破滅か」、選択の時
大国でも敗けるときは敗ける。結局勝負を決めるのはその集団のリーダーだからだ。間もなくこの日本に僕たちを勝利に導く魂があらわれる。時間はない。選択の時だ。
核や毒ガスやレーザー兵器に対して逃げ場所はない。そしてまだ、アメリカがそんなことをするはずがないという人は、このウェブページをもう一度最初から見てほしい。
原爆の映像はウソですか。
ベトナムの映像はつくりものですか。

湾岸戦争はなかったのですか。
なぜ過去に起こったことが今後にないと言い切れるのですか。
もう一度。
戦いか、破滅か。選ぶのはあなたです。
6.黎明
新しい世界の始まりの鐘が鳴る
そして その後には
予言の世界が待っている
光音天からやって来た
アフラの世界からやって来た
真理の救済者
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