アレフ・レポートNo.4
ダイアナ暗殺事件の謎を解く
Oh please stay by us, Diana!

第13部 唯一の生存者も陰謀を証言


1 唯一生き残ったボディーガードの証言

 トレバー・リース・ジョーンズは、この事件で唯一生き残った人物である。彼は二百万部発行の「ザ・ミラー」紙との単独インタビューに応じた。

 アルマ広場トンネルでの衝突から半年経ち、リース・ジョーンズはいくつかの記憶を思い出している。それは行方不明のフィアット・ウノ、そして他の車と高速で衝突するに至る経過、その直後の経過に関する記憶である。

 3月2日のインタビューは、モハメド・アルファイドがロンドンに所有しているオフィスで行われた。

 リース・ジョーンズはこのインタビューで幾つかの重要な事実を述べ、この「事故」は計画された自動車殺人事件であるとの主張が再び裏付けられた。彼が「ザ・ミラー」紙のパース・モーガンに語った証言は、次のような内容である。

 ダイアナ元妃、ドディ・アルファイドを乗せたメルセデスS−280は、二台の車と、少なくとも一台のオートバイに追われていた。それは彼らが8月31日の真夜中過ぎにリッツ・ホテルの裏口を離れた時からであった。

 車の一台は白でハッチ付きのスリー・ドアだった。

 これは恐らく、アルマ広場のトンネル入口でメルセデスに衝突したフィアット・ウノを指しているのだろう。この衝突により、メルセデスはトンネル内部の13番目の柱に激突したのである。このフィアット・ウノは現場から素早く立ち去り、運転手、乗客共に姿を消している。
 セーヌ川沿いの道路で、何台もの車に追いかけられた。
 これも、何人もの目撃者がフランス警察に伝えた証言と一致する。目撃者たちは全員、メルセデスはトンネルに入ったとき、何台もの車・オートバイに攻撃されていたと証言している。
 衝突後、ダイアナ妃は生きていて、半ば意識がある状態でした。車の後部座席から途切れ途切れに呼ぶ女性の声を、私は聞きました。最初、それは呻いているようで、次にドディの名を呼んでいました。ダイアナ妃に違いありません。私は意識があり、彼女もそうでした。
 これもまた、ダイアナ妃は衝突後に意識があったことを示す、ただ一人の生存者からの重要な証言である。フランス救急医療班はダイアナ妃を近くの病院へ運ぶまでに、ほとんど二時間もかけている。この遅れこそがダイアナ妃の死亡につながった。

 ダイアナ妃の内出血は外科手術によって修復できるものだった。しかし、フランス救急隊員は彼女に緊急外科手術を施さなかった。それどころか、ダイアナ妃を乗せた救急車は、ラ・ピティエ・サルペトリエール病院の緊急口から500ヤードの場所で10分も停車していたのである。彼女は手術室に運び込まれる前に、内出血で死亡してしまっていた。


2 イギリス政府の狼狽と逆襲

 この事件が事故ではなく殺人事件であることを隠蔽しようとしている王室・政府にとって、アルファイドとリース・ジョーンズの証言は痛撃であった。現英国首相トニー・ブレア、元首相でウィリアム王子とヘンリー王子の後見人のジョン・メージャーは、ともにこの「陰謀説」をやっきになってうち消そうとした。

ファイド逮捕の新聞記事。右下の人物がローランド リース・ジョーンズのインタビューが世界を駆け巡った3月2日、モハメド・アルファイドとジョン・マクナマラ(ハロッズ・デパートの警備部長)は、イギリス警察に逮捕された。これは、タイニー・ローランドによって出された、明らかに虚偽の訴状によってであった。

 ローランドは、イギリスがアフリカに展開していた資源カルテル、ロンロー社の元・社長で、アルファイドとは長年争ってきた人物である。その彼がイギリス王室に動かされて、パリでの衝突以来、アルファイド家を攻撃している。それはアルファイド家を沈黙させ、ダイアナ王妃とドディの殺人を確実に隠蔽する目的のためである。

(←アルファイドが告発されたという記事。右下の人物がローランドである)



 メディア王ルパート・マードックが所有する「ニューヨーク・ポスト」紙は、アルファイドとマクナマラの逮捕(彼らは訊問を受け、釈放された)の裏にある真の理由について推測している。同紙のニール・トラビスは3月4日のコラムで次のように書いた。

 今回の逮捕はドディの父に対する攻撃の始まりである。イギリス警察がダイアナ王妃が死亡してから半年経って、ドディの父モハメド・アルファイドを逮捕したのは偶然ではない。彼らは時間を稼いだ。それから、このエジプト生まれのハロッズ・デパート所有者をイギリスから追い出そうと、嫌がらせキャンペーンを集中的に始めたのである。イギリス王室はアルファイドを迷惑に感じている。王室はアルファイドにイギリスから出ていってもらいたいと考えているのである。

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