アレフ・レポートNo.4
ダイアナ暗殺事件の謎を解く
Oh please stay by us, Diana!

第9部 消えたフィアット・ウノ・ターボ、発見


1 消えたフィアット・ウノ・ターボ

 フランス当局は事故後一月間、隠蔽工作を行っていたが、その後とうとう、少なくとも一台の車が事故に関わっていたことを認めた。

 フランス当局は、1984−1987年型のフィアット・ウノ・ターボの行方を追った。このフィアット・ウノは、ダイアナ妃を乗せたメルセデスに衝突した後、事故現場から逃げ去ったのである。


2 事故原因のフィアット・ウノ、ついに押収

 フランス警察は事故当時にパパラッチの一人が所有していたフィアット・ウノを、98年2月13日に押収した。

 この車は後部フェンダーに大きな損害を受け、急いで修理された跡が見られる車である。この車は、パリ南西約120マイルにあるトゥールのフィアット取引店で97年11月に売られた。その後、この車は最近、パリのバイヤーに再売却された。

 衝突以来、フランス警察は、ダイアナ王妃とドディ・アルファイドを乗せたメルセデス280−Sが、もう一台の車と衝突、これが致命的事故につながったことをつきとめていた。この車はトンネルから抜け出し、運転手と共に地上から姿を消したように見えた。しかし衝突後数日のうちに、フランス警察はこの車が1983年−87年型のフィアット・ウノ(ターボ・モデル)だったことを割り出した。

 2月13日にフランス警察が車を押収したのは、CBSラジオとパリのアソシエーティド・プレスがその日早くにニュースを流したからであることは間違いない。

 このニュース報道では、元フランス警察・刑事局長で、現在リッツ・ホテルの弁護士顧問を務めているピエール・オタヴィオリが登場した。彼は行方不明のフィアット・ウノを発見し、2月13日に先立つ数週間前、その所在についてフランス警察に知らせていたのである。

 さらに2月11日のAP通信によれば、アルファイド家の弁護士は、事件の調査リーダー、エルヴェ・ステファンに書簡を送り、この車が現在パリ地域にあることを知らせていた。この弁護士は手紙の中で、フランス警察が、衝突時にこのフィアットを所有していた人物を全く取り調べなかったことに憤慨している。


3 フィアット・ウノの持ち主はパパラッチ

 押収されたフィアットの所有者は、フランス人ジェームズ・アンダンソンである。彼はパパラッチの一人で、「シグマ写真会社」に雇われていた。

 アンダンソンは97年8月下旬、ダイアナ王妃とドディ・アルファイドがサルジニアで休暇を取っていた間、二人を追跡していた。8月30日、ダイアナ王妃とドディ・アルファイドは、このサルジニア休暇から飛行機でパリに戻ったのである。

 アンダンソンは、事故現場で警察に取り押さえられた九人のパパラッチの一人ではなかったが、殺人に加担した容疑がないわけではない。実際、アンダンソンは既にアルファイド家からプライバシー侵害で訴えられている。

 AP通信がフランス司法内部の情報として伝えたところでは、ジョルジュ・キーマン(アルファイド家弁護士)、ベルナルド・ダートヴェル(リッツ・ホテル弁護士)はアンダンソンへの正式告訴状を準備しているという。

 しかし、フランス警察はこの車を重要と見なしていない。ある警察調査官は、匿名条件でAP通信に語っている。
「この車は全く調査価値がない」

 フランス警察は押収後すぐ、この車のペンキはメルセデスの側面で発見されたペンキと一致しないと伝えた。しかし警察は、この車を国家警察犯罪調査研究所に送ることすらしていないのである。


4 二台目のフィアット?

 フランス警察は別な場所でもう一台、衝突後一日以内に修理に出され、ペンキを塗り替えられたフィアットをつきとめていた。

 フランス警察は目撃者証言の一致などから、97年11月下旬、二世ベトナム人ル・ヴァン・タンを逮捕した。彼は、8月31日に衝突が起こってからほんの数時間後にペンキが塗り替えられたフィアット・ウノの所有者である。

 フランス警察がこの車の情報を得たのは、目撃者証言によってである。この目撃者はパリ在住の夫婦で、これまで「ジョルジュ・サビーヌ・D」としか発表されていない。

 この夫婦は衝突時、アルマ広場近くのレストランで夕食を取って帰るところだった。その車は、破損した白のフィアット・ウノに危うく追突されそうになった。このフィアットはスピードを上げてトンネルから出てきて、信号まできたところでジョルジュ・サビーヌ夫婦の車と衝突しそうになったのである。

 夫婦は9月18日、フランス警察へ赴き、車と運転手の様子について証言した。それによれば、車には運転手が一人で、後部座席には大きな犬が乗っていた。彼らは警察に、車のナンバーの一部を証言し、これによってフランス警察は、車の所在をパリの西部の郊外オ・ド・セーヌ地域に絞ることができたのである。

 次に警察は第二の手掛かりをつかんだ。それはタンの兄が、問題となっている車を運転してパリ警察の管轄区域に入ってきたからである。タンの兄は小さな交通違反で裁判所に出頭しただけだったが、警察はこの車に気づき、事件調査を担当している刑事局に通報した。

 タンは六時間警察に拘留され、車について、そして8月30−31日の真夜中どこにいたかについて訊問された。タンは二匹の大きな犬を飼っており、それをしばしば職場に連れていっていることを認めた。

 しかし、問題の夜、午後7時から午前7時まで他の六人の従業員とともに警備の仕事に就いていたと証言した。

 98年1月25日のイギリス「サンデー・タイムズ」紙によれば、警察はタンが所有するフィアットのペンキと、メルセデス280−Sの側面に付着していたペンキが一致しなかったことにより、彼を釈放した。同紙によれば、警察はタンのアリバイを調べもしなかったのである。

 しかし警察内部の情報筋によると、タンが所有するフィアット・ウノのペンキ、後部バンパーは両方とも、メルセデスから発見された法的証拠と「一致」していた。この情報からは、衝突の夜にフィアットを運転していたのはタンではなく別の人物、恐らく親類だったという可能性も出てくるであろう。


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